看護とは一言で言うと、「関わること」だと私は思っています。そして、看護師として患者さんとの関わりのなかで、どのような姿勢が大切なのかを考えている時、書店で『看護のなかの出会い(発行:日本看護協会出版会・菊池多嘉子著)』の書物に出会いました。
その中の「良き看護のための6つの姿勢について」の文章が目に留まりました。この姿勢の中身を現場に活かしたいと思ったので一部紹介し、日ごろの業務の中でお互いが感じたことや課題を見つけて、助け合える職場づくりに取り組みたいと思います。
また、江藤病院では多職種がチームで多方面での積極的な活動を心がけております。看護師も医療チームのメンバーの一人として率直な意見や疑問を伝え、良き看護・良きチーム作りに努力したいと考えています。
良き看護のための6つの姿勢(抜粋)
1 名を呼ぶ
「看護する者と病人との出会いは、病人の名を呼ぶことで始まる、といってよいかもしれません。向き合う人の名前をこころをこめて呼ぶ。これは看護の基本です。」
2 身をかがめる
「術後の激痛におそわれている患者に、もうこれ以上鎮痛剤を打つことができないとわかった時、一人の看護師が病室に入るや否や、ぱっとベッドの横にひざまずき、患者の手を取って、「痛むのですね」と叫んだということです。その時、痛みは消え去ったかに感じた。これこそ、文字どおり身をかがめる姿勢の表れといえるでしょう。」
3 共感する
「卒業したばかりの若い看護師が注射を打った患者さんの背中をさすりながら、「苦しいでしょう。苦しいでしょう。すぐ落ち着きますからね」と、自分の方が泣きそうになって励まして下さった。技術と経験から見れば、ベテランの方には及ぶべきではないでしょう。それにもかかわらず、病人にとって、看護師の誠実さ、やさしさ、真剣さ、病む者の身になって下さるこころが何よりも嬉しいのです。」
4 じっと耳を傾ける
「毎日患者の顔を見に行っても、思いは次の仕事に向けられているなら、患者は痛いほど、その人のこころの動きを感じ取ってしまいます。看護師のこころが全面的に自分に向けられていないと知った時、進んでこころを開こうとはしないでしょう。このようにして、毎日病室に足を運んでいながら、患者との出会いをもたずに終わってしまうのなら、それは本当に残念なことです。」
5 仕える手をもつ
「マザーテレサは「喜んで仕える手と、愛しつづけるこころ」の美しさを説いておられるが、愛するこころ、一時的ではなく、いつまでもどんなときにも愛しつづける心が欠けているなら、たとえその人の技術が優れていても、仕える手とはならず、人を感動させることはできない。」
6 まなざしを注ぐ
『「親」という漢字の意味は「みつめて目を離さないこと」とあり、これは観察とは違います。親の思いを表すには「まなざしを注ぐ」といったほうがふさわしい。わが子をみつめて目を離さない親のまなざしは看護するものが病人に注ぐまなざしにも言えるのではないかと思います。まなざしがこころの表れである。』
病む人への真の思いやり(抜粋)
「意識が朦朧としていても、「今日はNさんが来ないね」という兄のお気に入りのN看護師さんの話で、Nさんと他の方の違いがどこにあるのか。
ある日、兄の名を呼ぶNさんの、何とも言えないやさしさに気づきました。注意して見ていると、検温のあとの毛布のかけかたから細かい仕草まで、どこか他の方とは違っていました。「こころがこもっている」と。些細なこともけっしてなおざりにせず、しかも、患者が表現できないでいる気持ちまで敏感に察知するのがわかりました。生来、豊かな感性に恵まれた方なのでしょう。病む人への真の思いやりに動かされるのでなければ、限られた中でやさしさを相手に伝えることはできません。」と。
これは、「相手の痛みに共感できる鋭い感性を持つことが大事です。」と、いつも私たちに諭していた前院長の思いと重なります。
看護師が臨床での経験を重ねる中で患者さんとの関係性を深め、ときに立ち止まり自己を振り返り、自分には何が不足しているのかを知ろうとすることが看護の出発点です。そして、人と人との出会いとは何か、看護のなかの出会いとは何か、を再発見することは「優しい病院」の理念のもと、優れた看護に一歩近づくこととなると思います。
江藤病院 副院長 大和 孝子
大和副院長の前回のコラムはこちら「人の心を元気にする花のパワー」