5月12日は国際看護師の日です。
有名なフローレンスナイチンゲールの誕生日です。
今回はナイチンゲールについてお話したいと思います。
ナイチンゲールについて
ナイチンゲールのイメージと言えば、「白衣の天使」ではないでしょうか?
クリミア戦争で傷ついた負傷兵を献身的に看護し、慈悲と奉仕精神に満ちあふれている人物が想像されます。ランプを持って夜に見回りを行っていたため「ランプの貴婦人」とも呼ばれていたそうです。
看護師としてのナイチンゲール
ナイチンゲールは裕福な家庭に生まれ、高度な教育を受け、5か国語を話すことができたそうです。1840年頃は貧富の差が激しい時代でした。ナイチンゲールは、慈善訪問の際に接した貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにするうちに、人の役に立ちたいと願い、いろいろな人との出会いを経て看護の道に進みます。
ナイチンゲールは看護師として1年が経過したころ、クリミア戦争による負傷兵が収容された病院に看護団の団長として派遣されます。
兵舎病院では、負傷兵がところ狭しと床に寝かされ、とても不衛生な環境でした。
不衛生な環境から感染症を発症し、病院内で感染が広がり、感染が原因で命を落とす負傷兵が多くいたそうです。
ナイチンゲール看護団は、病院に派遣されますが、当時の看護師の地位は低く、軍医からの理解もなく、実際に看護をすることが許されませんでした。
そこで、ナイチンゲールは不衛生な環境を改善することから始めました。
部屋の窓を開けて新鮮な空気を入れる、衣類やシーツを洗濯する、掃除をする、負傷兵に食事をつくり、提供するといったことをしました。
今であれば、至極当然のことですが、当時は医学、感染症に対する知識も乏しかったため、当然のことが出来ていませんでした。
衛生状態の改善により、負傷兵の状態が改善し、軍医長官らはナイチンゲールの功績を認め、看護団が看護の業務を行えるようになりました。
病院内を衛生的に保つことで負傷兵の死亡率が4か月間で42%から5%まで改善したことが後に判明しています。
統計学者としてのナイチンゲール
ナイチンゲールは帰国後、病院の報告書から状況分析を始め、数々の統計資料を作成しました。看護に統計学を持ち込んだと言われています。
クモの巣チャート(レーダーチャート)の発案者はナイチンゲールです。
そのほかにも…
ナイチンゲールの功績は職業人として、看護師の地位を高めることにつながりました。
33歳から2年間兵舎病院で働いたあと、看護学校を創設し多くの看護師を育成しています。それ以外にも「看護覚え書」「病院覚え書」をはじめとし、多くの書籍を執筆し、看護、病院建築等に大きく貢献しています。
また、ナースコール(当時は呼び出し鈴)、ナースステーションの発案をしたのもナイチンゲールです。
ナイチンゲールが実際に看護師として現場で働いたのは、兵舎病院での2年間のみでした。
40歳頃に心臓発作で倒れてあと、慢性疲労症候群を起こし、主にベッド上で執筆活動をしていたそうです。享年は90歳です。
現在、衛生的な環境で療養できること、私たち看護師が専門職として、働くことができるのはナイチンゲールの様々な貢献があったおかげと言っても過言ではありません。
看護の基本は「知識・技術・態度」の3つです。
ナイチンゲールはまさしく知識・技術・態度を兼ねそろえた看護師です。
私も看護学校に入りたての頃に学びました。25年経った今も3つの基本を忘れず、日々の看護を行っています。
これからも看護師一同、知識・技術・態度を兼ねそろえた看護師として、患者様の生活を支えることができるように努めて参りたいと思います。
江藤病院 看護師 國貞 佑子
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